เข้าสู่ระบบ「まず確認しておきたいことがあります」
怜司の声に、澪はようやく資料から顔を上げた。 自分の名前が並ぶアクセス記録を見つけてから、すでに十分近くが経っている。その間にも頭の中では、考えたくもない可能性ばかりが増えていた。 「このアカウントは、パスワードだけで入れますか?」 「いいえ。社内端末からなら社員証による認証も必要です。役員権限のファイルには追加認証もあります」 「では、単純にパスワードが漏れただけでは説明できませんね」 怜司はそう言って、情報システム部から届いた記録をもう一度確認した。 深夜一時四十七分。東京本社。九条澪の権限で資金調達関連の資料が閲覧されている。 その三日前にも同じような記録があった。 澪はその日の予定を手帳で確認した。どちらも東京にはいない。片方は大阪、もう片方は名古屋でグループ会社との打ち合わせに出席していた。 偶然にしては出来すぎている。 「本部長」 会議室の扉が開き、情報システム部の担当者が入ってきた。 「確認できました。アクセス元はいずれも本社十八階です」 十八階。 経営戦略本部と役員会議室のあるフロアだった。 澪は無意識に背筋を伸ばした。 「端末までは特定できますか?」 「一件は経営戦略本部の共用端末です。もう一件は……本部長室の端末でした」 言葉が途切れた。 澪は聞き返さなかった。 聞き間違いではないことくらい、担当者の表情を見れば分かる。 「私の部屋に入った人間の記録は?」 「今、総務と照合しています。ただ……」 担当者は一瞬、怜司へ視線を向け、それから澪に戻した。 「本部長室の入退室ログでは、本部長の社員証が使われています」 澪は何も言えなかった。 自分はその時間、大阪にいた。 それなのに東京本社では、自分の社員証が使われ、自分の部屋に入り、自分の権限で資料が閲覧されている。 まるで、もう一人の九条澪がいたようだった。 「社員証の複製は可能ですか?」 怜司が尋ねる。 「通常は困難です。ただ、絶対に不可能とは言い切れません。それに、役員用カードは紛失時の再発行記録も厳しく管理していますので、もし複製されているなら――」 「内部事情に相当詳しい人間ですね」 怜司が静かに言葉を継いだ。 担当者は否定しなかった。 澪は椅子の背にもたれず、机の上で両手を組んだ。 怖いとは思わなかった。 少なくとも、今は。 それよりも先に腹が立った。 誰かが自分の権限を使って会社の中を歩き、自分の名前で情報へ触れていた。その目的が何であれ、好きにさせるつもりはない。 「この件は、調査対象を広げすぎないでください」 澪が言うと、担当者が顔を上げた。 「総務と情報システム部、それから必要最低限の役員だけで共有してください。誰が関わっているか分からない以上、社内全体に知らせるのは避けます」 「承知しました」 担当者が退出すると、会議室には再び二人だけが残った。 怜司は何も言わず、澪を見ていた。 その視線が少し気に障る。 「何ですか?」 「いえ。もっと動揺されるかと思っていました」 「していますよ」 澪は即座に答えた。 「でも、動揺したからといって犯人が出てきてくれるわけじゃないでしょう。それに、私の名前を使ったなら、相手には目的があるはずです」 怜司の目がわずかに細くなる。 「何だと思いますか?」 澪はもう一度、アクセス記録へ視線を落とした。 情報を盗むだけなら、わざわざ自分の権限を使う必要はない。足跡を消す方法はいくらでもあったはずだ。 それなのに、記録は残されている。 自分の名前で。 「……私に疑いを向けたい」 口にした瞬間、その可能性が妙に現実味を帯びた。 怜司は否定しなかった。 「私も、その線は考えておいた方がいいと思います」 静かな声だった。 澪は指先で資料の端を押さえた。 プロジェクトを失敗させるだけではない。 もしこの記録が表に出れば、機密情報を不正に持ち出したのは自分だと疑われる可能性がある。次期総帥候補どころか、経営戦略本部長としての立場さえ危うくなる。 誰かは、そこまで計算している。 「高城さん」 「はい」 「この件、止められますか?」 怜司はすぐには答えなかった。 ほんのわずかな沈黙のあと、いつもの落ち着いた口調で言った。 「止めるだけなら難しくありません。ただし、せっかく相手が残した痕跡です。消す前に、利用した方がいいでしょう」 澪は顔を上げた。 怜司の表情は穏やかなままだった。 けれど、その言葉だけが妙に冷たく響いた。 「相手はまだ、こちらが気づいたことを知らない。なら今は、知らないふりをしてもらいます」 その瞬間、澪は初めて思った。 この男は、立て直しの専門家というだけではない。 追い詰められた状況そのものを、反撃の材料に変えることに慣れている。 それが頼もしいのか、それとも警戒すべきことなのか。 まだ澪には判断できなかった。四年前の安西を追う作業は、思っていたより地味だった。現在の勤務先も連絡先も分からない以上、本人へ直接確かめることはできない。澪と怜司は、すでに判明している事業再生セミナーを起点に、その前後の所属や役職、関係企業を一つずつ洗い直していった。午後を過ぎた頃、以前連絡を取ったセミナー主催団体から、当時の保存資料が届いた。参加者全員の詳細な記録ではない。開催案内、当日のプログラム、登壇者一覧、それに一部の分科会資料が残っている程度だった。澪は資料を開きながら、隣の怜司へ声をかける。「安西さんの名前があったのは、このセミナーですよね」「ええ。当時はまだ、現在の再開発区域で土地を取得した会社の役員になる前です」「榊原さんが九年前の資料へアクセスした時期とも近い」怜司は頷き、別の資料を画面へ並べた。「だからこそ、参加したという事実だけでは弱いんです。事業再生を扱うセミナーなら、不動産関係者と元経営企画の人間が同席しても不自然ではありません。確認したいのは、二人が同じ会場にいただけなのか、それとも接点を持つ機会があったのかです」澪はページを進めた。午前中は全体講演。午後からは参加者が複数の分科会へ分かれる構成になっている。その中の一つで、手が止まった。「これ……」怜司も画面を覗き込む。分科会B。テーマは「事業再生に伴う不動産整理と権利調整」。参加予定者の欄に、安西克己の名前がある。その数行下。榊原俊之。同じ分科会だった。澪は椅子へ座り直した。「少なくとも、同じセミナーにいただけじゃない」「ええ。しかも、この分科会のテーマは単なる企業再生ではありません。不動産整理と権利調整です。九年前に二人が関わった再開発と内容がかなり近い」怜司は参加者一覧と、九年前の旧再開発資料を画面上で並べた。「榊原氏は九条側で計画全体を見ていた。安西氏は東央不動産企画で地権者調整に関わっていた。立場は違っても、
警察署を出てからも、澪の中には同じ疑問が残っていた。事故の翌日、榊原の足取りを確認するために現れた男は、帽子もマスクも使わず、防犯カメラの正面を通っている。自分が何をしているのか理解していたなら、あまりにも無防備だった。会社へ戻る車の中で、澪は窓の外を流れる街を眺めながら口を開いた。「さっきの人、本当に榊原さんを追っていた側なんでしょうか」怜司は前方へ視線を向けたまま答える。「前日の訪問者を確認していた以上、無関係とは考えにくいでしょう。ただ、本人がどこまで事情を知っていたかは別です」澪は怜司を見る。「頼まれただけ?」「その可能性があります。たとえば『昨日ここへ来た人物がいるか確認してほしい』とだけ依頼されていれば、本人にとっては防犯カメラを避ける理由がありません」確かにそうだった。榊原が事故で亡くなったことも、その事務所から資料が消えたことも知らなければ、男にとっては単なる所在確認や聞き込みにすぎない。「じゃあ、あの人を見つけても、その先がある」「おそらく」怜司は信号で車を止め、ようやく澪へ視線を向けた。「むしろ、見つかっても困らない人間を使ったと考えた方が自然かもしれません。自分では動かず、必要な確認だけ別の人間へさせる。九年前から相手が同じやり方をしているなら、私たちが人を一人見つけた程度では中心には届かないでしょう」「でも、依頼した人間はいる」「ええ。そこは消えません」信号が青へ変わり、車が再び動き出す。以前なら、その先をどう調べるべきかまで怜司へ尋ねていたかもしれない。けれど澪は少し考えてから、自分で言葉を続けた。「だったら、あの人自身を追うより、誰から仕事を受けたのかを見た方がいいですね」怜司が小さく頷く。「私もそう思います。ただ、そこは警察の確認を待った方がいいでしょう。こちらが先に接触すれば、依頼主へ伝わる可能性があります。それより私たちは、榊原氏がなぜ事故の日に安西氏を探していたの
翌日の午前、澪の携帯に警察から連絡が入った。榊原の事故について事情を聞かれた際に名刺を受け取っていた刑事からで、旧東央不動産企画が入っていた建物の所有者より、防犯カメラ映像の提供を受けたという。「映っていたんですか」思わず声が低くなる。電話の向こうで刑事は少し間を置いた。『一度、こちらへ来ていただけますか。確認してほしい人物がいます』その言葉だけで十分だった。澪が電話を切って顔を上げると、向かいにいた怜司もすでにこちらを見ている。「残っていましたか」「はい。それと、確認してほしい人がいるそうです」怜司はそれ以上聞かずに資料を閉じた。「行きましょう」あまりにも自然な返事に、澪も何も言わず端末を片づける。以前なら、同行を頼む言葉を挟んでいたかもしれない。今は、それすら必要なかった。◇警察署の面談室は簡素だった。小さな机と数脚の椅子、白い壁。窓はなく、天井から落ちる蛍光灯の光だけが室内を平坦に照らしている。担当の刑事は簡単な挨拶を済ませると、ノートパソコンを二人の方へ向けた。「まず、事故当日の映像です」画面に映し出されたのは、旧東央不動産企画が入っていたビルの入口だった。時刻は午前十時を少し回った頃。数人の通行人が横切ったあと、一人の男が画面へ入ってくる。入口の前で一度立ち止まり、周囲を確認するように顔を動かしてから、そのまま建物の中へ消えた。澪は息を止める。「榊原さんです」遠くから撮られた映像で、顔まで鮮明とは言えない。それでも体格も歩き方も、以前会った榊原と一致していた。約十分後、再び入口から姿を見せる。手には何も持っていない。そのまま歩道へ出て、画面の外へ消えていった。刑事が映像を止める。「このあと、事故現場の方向へ向かった可能性があります。周辺の別のカメラも確認中です」澪
ラウンジのテーブルに置かれた端末には、まだあの写真が表示されていた。古い雑居ビルから出てくる自分と怜司。ほんの数時間前の光景なのに、澪にはひどく遠いもののように見えた。写真を受け取る前と後では、同じ出来事の意味が変わっている。澪はしばらく画面を見つめたあと、静かに口を開いた。「高城さん。これで一つだけ、もう偶然だと思わなくていいことがありますよね」怜司はすぐに答えなかった。ただ、その視線だけで何を言おうとしているのか理解したようだった。「榊原氏の事故ですか」「はい」澪は頷いた。「もちろん、これだけで誰かが事故を起こしたって証明できるわけじゃない。でも、榊原さんが亡くなって、そのあと事務所から仕事の資料だけがなくなった。安西さんも消えて、今度はその二人を追っている私たちにこんなものが届いた」画面の中の自分たちを指先で示す。「少なくとも、榊原さんの死だけを別の出来事として考えるのは、もう無理だと思います」怜司は一度だけ写真へ目を落とした。「私も同じです。警察に説明できるだけの証拠はありませんし、事故そのものが意図的だったと断定することもできません。ただ、榊原氏の死、事務所への侵入、安西氏の失踪、それに今回の警告は、同じ流れの中で見るべきでしょう」澪はゆっくり息を吐いた。覚悟していたはずだった。それでも、誰かの口から同じ認識を聞くと重みが違う。榊原は、約束の場所へ来られなかったのではない。来る前に、何かが起きた。そしてその直前まで、安西を探していた。「だとしたら」澪は顔を上げた。「相手は、警告するタイミングを間違えましたね」怜司の眉がわずかに動いた。「どういう意味です?」「昨日までなら、私たちはまだ迷えた。榊原さんの事故と安西さんの失踪が本当に関係してるのかも分からなかった。でも今日、東央不動産企画へ行ったあとに尾行されて、この写真まで送られてきた」
地下駐車場に留まり続ける理由はなかった。怜司はホテルのロビー階まで上がると、人の出入りが多いラウンジを選んだ。大きなガラス窓の向こうには夕方から夜へ移り変わる街が広がり、宿泊客や打ち合わせらしい会社員が絶えず行き交っている。澪は窓際ではなく、通路から少し奥まった席へ腰を下ろした。先ほどまでの黒いセダンは見えない。それでも、一度こちらへ向けられたスマートフォンのレンズを思い出すと、窓の外を走る黒い車すべてが目に入った。怜司は注文したコーヒーに手をつける前に、端末を開いた。「整理しましょう。今日、相手が動く理由になり得たものは大きく三つあります」澪も気持ちを切り替え、向かいの怜司を見る。「安西さんを探していること。旧東央不動産企画へ行ったこと。それと、榊原さんが事故の日にそこへ来ていたと分かったこと?」「その三つです。ただし、最後の一つは私たちが今日初めて知った情報です。管理人が誰かへ話していない限り、相手がすぐ把握するのは難しいでしょう」「じゃあ、東央不動産企画の跡地そのものを見られていた?」「その可能性はあります。あるいは、こちらが安西氏を追っていることを以前から把握していて、今日の動きを確認していたのかもしれません」怜司は端末の画面へ視線を落とし、今日の時系列を簡単に並べた。旧所在地へ着いた時間。管理人と話していた時間。建物を出た時間。そして黒いセダンに気づいた地点。澪も記憶を辿りながら補足していく。「建物を出たときには、まだ気づかなかったですよね」「ええ。ただ、最初から後ろにいた可能性はあります。こちらが気づいたのが遅かっただけかもしれません」「だとすると、どこからついてきたのかが重要ですね」澪がそう言うと、怜司はすぐに頷いた。「私もそこを確認したいと思っています。旧所在地の周辺で待っていたなら、あの場所自体が監視対象だった可能性が高い。逆に会社を出た時点からついていたなら、九条側の動きが漏れていることになりま
第50話 黒い車黒いセダンは、まだ後ろにいた。怜司がわざと入った細い道は、住宅と小さな事務所が入り混じる一方通行だった。午後の光はすでに傾き始め、建物の影が道路へ長く伸びている。本来ならここへ入る理由などない。それでも数台分の距離を空けて、黒い車体は同じ道へ滑り込んできた。澪は振り返らず、サイドミラーの中に映る黒い輪郭だけを見た。「高城さん」「大丈夫です。そのままで」怜司の声はいつもと変わらなかった。ハンドルを握る手にも目立った力は入っていないが、信号が変わるたび、交差点へ入るたびに、視線だけが短くバックミラーへ向けられている。「会社には戻らないんですか?」「今は戻らない方がいいでしょう。こちらがどこへ向かうか確認している可能性があります。会社へ戻れば勤務先、九条さんのご自宅へ向かえば生活圏まで教えることになる」澪は小さく頷いた。「じゃあ、どうします?」「人とカメラの多い場所へ行きます。そこで一度、相手がどこまでついてくるか見ましょう」怜司はそう言うと、大通りへ車を戻した。細い道から抜けた途端、視界が一気に開けた。高層ビルのガラスへ夕方の光が反射し、四車線の道路を車が絶え間なく流れている。その中へ紛れれば見失ってもおかしくないはずなのに、黒いセダンだけは妙にはっきりと見えた。一台別の車が間へ入っても、信号で距離が離れても、次の交差点を越える頃にはまた同じ位置へ戻ってくる。怜司が車線を変えれば、少し遅れて同じように移動した。偶然ではない。そう理解した瞬間、澪は自分の指先が冷たくなっていることに気づいた。榊原が死に、安西が消えた。そして今、自分たちの後ろには正体の分からない誰かがいる。これまで資料や記録の向こう側にしか存在しなかった相手が、突然、現実の距離まで近づいてきたようだった。「